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February 18, 2013 

先週遠戚の憂い事で北茨城へ。式の開始まで大幅に時間が空いてしまったので、北茨城は石井竜也の出身地だったことを思い出しながら、復元された岡倉天心記念六角堂に立ち寄った。快晴の午前、国道を右折し整備された並木道を現場までの降り口を見逃さないようゆっくりと車を走らす。
目の前の海が大きな湖のように海面ぎりぎりに、それは太平洋を庭としてひそやかに建っていた。
岡倉については明治時代の美術史家であることと、「アジアはひとつなり」という思想の人ということしか知らなかった。意識の底辺で、美術の人物であることとその東洋思想とがすっきり結びつかない感じがあった。しかし記念館に立ち寄って年表のある一行が目に入ったとき、その引っ掛かりは氷塊していった。経歴の最初明治6年(10歳)東京外国語学校に入学している。自宅に戻って更に調べてみると、なんとその4年前にJames Hamilton Ballahの塾に入っているではないか。勉学初期に彼がしっかりとした英語力を習得したことは明らかだ。

西洋へ西洋へとなびいていた明治期に「東洋なのだ」という立ち位置を彼は宣言する。「アジアはひとつなり」という岡倉の考えは、1904年上梓の“The Ideals of the East: With Special Reference to the Art of Japan “という英語で書かれた本で披露された。

時代を経て西欧諸国の経済が厳しさを増し、世界経済の流れがアジア新興国の勢いに向かっている現況を、岡倉は果たしてどう見るか?

この海を眺めて育ったであろう石井竜也(カールスモーキー石井)は、米米クラブ最大のヒット曲の2番で歌っている。
「裏切りの鏡に映しだされた 笑顔につられて流された日々 儚いものへの憧れだけで すぐ目の前にあることを忘れてた なぜもっと素直になれなかったのだろう 君にまで Wow Wow True Heart」(君がいるだけで:歌詞米米クラブ)
西洋ばかりを向いて、自分たちのアジアを忘れてはいないかと、聞こえてくるのは入れ込み過ぎだろうか? もちろんこの歌詞にその意図がないことは自明の理。牽強付会を謝す。

眼前の海は、この日凪いでいて水平線のかなたまで輝いていた。

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六角堂
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【2013/02/20 10:22】 | 未分類
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February 14, 2013  

仕事帰りの地下鉄。疲れ果てた心と体の重みを、つり革の助けを借りながら宥めていた。
そのとき、ぐいと引き込まれた新聞コラムの一文。

“・・・。60回ぐらいボツにされた。
「よくも、こんなものを読ませたな」と愛の拳で殴られ、ちまみれにもなりました。僕は自分の力の無さを責めた。必死に食らいつくうちに、直木賞をもらいました。”
(日本経済新聞2013年2月13日夕刊文化欄車谷長吉氏談話)

疲れが消え去り、目が冴えてきた。
自分はまだまだ足りないのではないか? 甘い。電車が地下から地上に出て目的駅を降りるころには、「やらなければ」という気合がにじみ出てきていた。
2月の風は冷たい。しかし、まだまだ足りないぞ。
寒さよ、もっと寒くなれ。凍えさせろ。俺を目覚めさせてくれ。

寒肥えの時期は貴重だ。
 
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雪に映える冬椿

【2013/02/18 17:32】 | 未分類
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February 7, 2013

谷崎潤一郎様

時代は変わりました。「文学」、「純文学」という言葉が耳目に触れることが少なくなりました。
今あえて御礼申し上げます。「文章読本」を、あるいは「陰翳礼讃」をこの国に残してくださったことに。
つい先だってまで、ご出身が東京の下町だったような、関西だったような、「あれ?」、どっちだったかなと、不精な小生は特に調べることもなくやり過ごしていました。
一昨年の大地震が起きた年の秋口、そのことについてネット上で何かほかのことを検索していた際にたまたま知りました。
つまり、東京か関西かのどちらかではなく、東京から関西へ転居したことを。そのきっかけが関東大震災であったことも。
瞬間当時に想像を馳せて、胸騒ぎが小生の体に起こりました。
一昨年私もこの東京で生涯最大の揺れを経験いたしました。 
あるデータによれば、マグニチュードは7~9と9で大きな差はないようですが、被災者の数は関東大震災の方が圧倒的に多かったのですね。
木造建築ばかりだった時代とビルが多くなった時代との差が被害者の多寡に表れたものでしょう。(もっとも東日本大震災は放射能の問題を長く引きずることになっているのですが)

その後京都に移られて、21年後「細雪」を私家版として発行されました。
しかも、その間太平洋戦争があったのですね。
怒涛の時代を経ながら、なんとすばらしい作品群を完成されたことでしょう。
せわしい世の中になってはおりますが、時間を見つけてじっくり再読するつもりです。

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谷崎潤一郎生誕の地

【2013/02/14 20:22】 | 未分類
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February 2, 2013

山田洋次監督が「東京家族」を作ってくれなければ、「東京物語」をきっちり観てみようという気にはならなかった。山田監督が小津安二郎監督へのオマージュとして、「まねて」制作したという、その原作映画。底本。
昨年英国映画協会発行のSight&Sound誌が発表した「映画監督が選ぶベスト映画」の1位に選出された「東京物語」。
門外漢ながら、映画界での小津監督の偉大さも、「東京物語」が秀作であることも話には聞いていた。そういった評判から、ずっと以前TV放送時に2回ほど観ようした。だが自分が若く未熟者であったせいか、始まって10分も観続けなかった。白黒画面、おとなしい序盤の展開にその時の自分の感性が折り合わなかった。
私も大人になってきたことで、やっとじっくり向き合う気になり、観るチャンスを探っていた。そうしたところに山田監督の新作が完成。山田版を観たいなら、原作品をまず観るのが物事の順序ということで、底本の「東京物語」DVD版をネットで入手し、趣味もテンポも合わないであろう家族が全員出払った日の午後、ようやく腰を落ち着けてリモコンのボタンを押した。

すばらしい! 見事な導入場面。自然に、あくまでも自然に、映画は展開していく。けっして焦らず、走らず。淡々と、無理のない速さで。ていねいに、どこまでも丁寧に。
沁みてくる、染みてくる。うっ。くる。来る。俺の涙腺に、私の内部に。
ひさしく忘れていた感覚を静かに、ひっそりと刺激してくる。ああ、そうだ。そうだったよね。みんなこういう感覚で、まじめにまともに社会を人生を時代を生きていた。日本は、日本人はそうだった。限られた人生の時間を、こんなにも慎み深く、自分の望みを抱き、欲を見つめ生きていた。相手をどこか尊重しながら、間合いを測りながら生きていた。
本編の真価は海外にも伝わったのだ。人間なら誰しも抱え持つ、身近にしてままならない家族との暖かい、しかし時とともに変質していく関係の普遍性。
個人的には過ぎた日の後悔に襲われた。親に対してあの日あの時ああすればよかったと、いまさら遅い謝罪の叫びが抑えられなかった。合掌。

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青山の善光寺。

【2013/02/04 12:20】 | 未分類
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January 28, 2013
今朝気持ちをもっていかれた話は、某全国紙の「ひと」欄で紹介されたラグビー監督大久保氏の逸話。大久保氏の名前は現役のころから活躍していたから、しばしばニュース記事などで目にしてはいたが、引退後家業の老舗豆腐屋に入っていたことまでは知らなかった。昨日サントリーをトップリーグ連覇に導いた。
家業に入って1年は競技から離れ、午前3時起床でがんばったという。
‘「豆腐は毎日同じ作り方をしても同じ味になるとは限らない。選手に同じ準備をさせても同じ結果にはならない」。だから、チーム作りは個々の選手との対話を重視した。’(同紙記事のまま)
連日TV等で大騒ぎしている体罰、いじめ問題を思うとき、きわめて示唆に富むエピソードと感じざるを得ない。同コラム写真中央に移る彼の微笑は、ゆったりとしていて若いアスリートたちを懐広く深く包みこむようであり、本人の充実感と周りの信頼感が伝わってくる。
言葉として、また食品として豆腐(とうふ、トーフ)は、この数十年で様変わりした。かつて外国人にはSoybean curdといって説明したものだが、今やそのままtofuで通用する。時に脇役として時に主役として和食になくてはならない存在だ。
大久保豆腐店の発展を願う。

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亡き母の口癖、「とうふは畑の肉なんだよ」。

【2013/02/02 19:32】 | 未分類
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